邊(ほとり)晶俊さん は1971年に中学校を卒業、金型見習工で働いた。定時制高校野球部エースで大阪優勝を果たし、卒業する時に「金型の道で行く」と決め、20歳から3年間で300万円を貯めて貸工場に入居した。堅実な資金計画は常に持続している。独立から現在に至る49年間をまとめて河内新聞の「モノづくりを考える!」に寄稿するべく準備を進めた。
草稿を書いている時に、東大阪ひろば(https://lit.link/higashiosakahiroba)メンバーの永井知明さんと知り合って、個人事業主としての信条「小さな町工場だからこそ、創意・工夫と挑戦を止めない!」を聞いた。それをタイトルとした記事をまとめた。記事の校閲を受けて河内新聞9月10日号に掲載することを決めた後で、邊さんの草稿をお見せしたところ、永井さんが「邊さんに会って話したい」と仰った。その言葉からお二人の対談が実現した。
永井さんは宮崎県の出身。集団就職で来阪して金属加工(プレス)の会社で働いた。府立布施工業高等学校定時制課程で学び、卒業時(1970年4月)に後輩2人を誘って貸工場で独立した。その積極果敢な姿は50数年を経た今も続いている。永井さんの質問から対談は始まった。
- 永井さん
- 「金型屋さんはお金がかかるんですね。」
- 邊さん
- 「そうなんです。昔は手仕事でやっていたのを今は機械でしてます。特に3Dなどの新技術を搭載する新鋭機を導入する時に多額の融資を受けました。1989年のワイヤーカット導入は、その返済が月々33万円で7年間というものでした。」
- 永井さん
- 「最新の機械はいつ導入されたのですか。」
- 邊さん
- 「1989年に導入したワイヤーカットが老朽化したので2019年に一年かけて機種選定を検討して2020年3月設置の契約を結びました。契約の時にはコロナのコもありませんでした。年が明けて予期せぬコロナ禍が始まりました。こんなことになるとは思いもしませんでした。独立から49年、バブル崩壊・円高不況・リーマンショックと不景気はありましたが、そんなのが問題にならないくらい深刻です。現在では7年の借入期間もあと1年を残すまで返済しました。もう一息です。ずっと機械を動かしていたらいいんですけど、稼働率が悪いんです。3割かそんなもんです。特にコロナ禍のあとは、ひとつ仕事が済んだら2~3ヵ月仕事ないのが続いています。今は機械が遊んでます。」
- 永井さん
- 「借金あるからケツ叩かれるところがあるね。借金なかったら年やしやめよかとなるかもしれへん。」
- 永井さん
- 「金型屋さんがここ3~4年で5軒、廃業しました。モデルチェンジあっての金型なのにモデルチェンジがないでしょう。それに中国や東南アジアに仕事がいってる。仕事自体がないから、なくて安いからやめていく。生き残るのに必死です。生き残っていたらポチポチ仕事が戻ってくるかもしれないよ。」
- 邊さん
- 「2021年3月に長年お世話になった同業者が廃業されました。中学校を卒業して金型見習工を始めてから50年来のおつきあいで80歳近くになられました。コロナ禍が始まって1年、仕事が激減して回復の見込みもなく廃業を決断されたのです。仕事のできる方で得意先からの信頼が厚く、得意先を紹介してくださいました。『そんな時代なんや』の思いを深めています。」
- 永井さん
- 「同じ年代の人がやめていくから寂しくなってる。材料や機械で助け合った仲でしたからね。えらい時代やね。」
- 邊さん
- 「大変な時代です。バブル崩壊で苦境に陥りましたが、バブル絶頂期に投資したワイヤーカットの性能により受注の幅が広がって何とか乗り越えることができました。今回のコロナ禍においても同様の効果を期待していますが、納期やコストで有利になる新型機械の性能を頼りにしつつ、それだけではこの時代は乗り越えられないのではないかと思っています。」
- 永井さん
- 「これからどう考えていますか。」
- 邊さん
- 「特にこれいうのはないです。もらえる仕事は確実にこなす。誠実に生活していく。そう考えています。」
- 永井さん
- 「何歳までやるつもりですか。」
- 邊さん
- 「70歳になったら仕事せんでもええなあと言うてましたが、その年になって孫の姿見てたらまだやらなあかんなあいう気になってます。まだもうちょっとできそうです。」
- 永井さん
- 「『もうちょっとできそう』と聞いて嬉しいなあ。うちら75歳までと思ってたのが75すぎてもうたから、その次はおふくろが死んだ76までと思ってたのが76すぎてもうた。次は80まで85まで。上に置いとかないと。来年やめるねん言うたら仕事とる元気もなくなります。引退したら暇。暇になったら死んでしまうやろな。大きな病気をせずに足腰動く元気なうちは仕事してるほうがええよ。ほそぼそといくのもおもしろい。せっかく命もろたんやからせいぜい頑張らな、遊びでも仕事でも。お互い頑張ろう。わしのが年上やけど。」
対談の一部を取り入れて邊さんの草稿を仕上げた。タイトルを「個人事業主の歩みー1970年代から2020年代までー」とした。前編「経済変動を乗り越える」を10月10日号に、後編「コロナ禍から現在へ」は11月10日号に掲載する。上記対談に深く関わる叙述を以下に抜粋する。
コロナ禍が収束しても需要が回復しないなか、邊さんは金型製造の町工場をめぐって脅威が起きているのではないかと感じている。「今までにない要因があってここまで仕事が来ないのかと考えてしまう。ただ単に暇やから仕事来えへんだけでなく、もっと根本的に大きなことがあるのかと不安を強めている」。
邊さんが語る「今までにない要因」「根本的に大きなこと」とは何だろう。それは1989年と2019年のそれぞれにおける技術の違いに発している。1989年は日本企業がNC(数値制御)化を取り入れた1970~80年代を経て「技能と情報技術の最適な組み合わせ」を実現した。しかしデジタル化による標準化が進んで日本企業が東アジア諸国やASEAN諸国への技術移転を加速したのちの2019年には、モジュール(技能集合)化がグローバルな生産を広げて町工場の存立が脅かされている。このような状況を邊さんが感じて考えた。2020年に邊さんが導入した最新機械を「標準化に埋没しない」で活かせることを願う。